うりログ

日記歴20年アラサーOL、ついにブログを始める。

笑顔の力 ヨハネスブルグの中心で

どうも、うりです。

先日、友人に誘われ某大学の学祭に足を運んだ。森に囲まれた緑豊かなキャンパス。学生数も少なくアットホームな雰囲気で、イキイキした学生たちの顔がとても愛らしく見えた。特に彼らの屈託のない笑顔が印象的で、笑顔の力について書きたいと思った。

 

南アフリカ駐在中は、ヨハネスブルグという街に住んでいた。ネットで検索すると、世界最恐都市とか治安が悪いという情報が沢山出てくる。昼間でも外は歩けない?タクシー運転手はみんな強盗?赴任前は、安全に気を付けるって、どう気を付けたら良いか分からなかった。

南アでは1994年に全人種による初の総選挙が実施され、アパルトヘイト(非白人に対する人種隔離政策)が撤廃された。ネルソン・マンデラ以降黒人政権が続いており、非白人に対して教育・雇用の機会を与えるべく様々な政策が施行されているが、貧困層の生活水準向上は未だ課題であり、経済格差が治安悪化を引き起こしている。The South African Police Serviceの統計によれば、2017年度の殺人発生数は約2万件、強盗(持凶器)発生数は約14万件であり、日本と比較すると、殺人は22倍(日本920件)、凶悪強盗は74倍(日本1,852件)である。

 

主に貧困層の多い地域では犯罪発生率も高いが、都市部の比較的安全で高級なエリア(東京の六本木・広尾のような所)でも、強盗やカージャック等は発生しており、ここにいれば安全とは言い切れず、常に警戒は必要である。海外旅行では、自分の持ち物や背後に気をつけると思うが、そういう基本動作を日常生活で意識し続けることが必要という感覚。ヨハネスブルグでは通常車移動だが、安全なエリアで昼間であれば、道を歩いて渡る、数ブロック歩くといったことは出来る。何より自分のいる場所の状況を察知する能力が大切である。想像していたより都会で自由で普通に暮らせるが(ヨーロッパと同じ生活レベルで暮らせる)、日本と比較すると少し不便に感じるかもしれない。

 

ヨハネスブルグでは自分で運転をしていた(防弾車ではなく普通の乗用車)。ある日曜にショッピングモールに行った時のこと。まだ赴任したばかりで、自分の中の警戒レベルは高めに設定していた。日曜はモールが閉まるのも早く、夕方5時頃にはほぼ人がいなかった。地下駐車場で駐車券の精算をしていたが、機械の故障でお札が入らない。持ち合せのコインはないし、お店も閉まっているし、どうしよう…と思っていたら、チンピラ風の20~30代の兄ちゃんたちが3~4人やってきて、私の後ろに並んだ。「どうしよう、この人たち危なくない…?」と心臓はバクバク。平静を装い、別のお札を試してみたがダメ。薄暗い駐車場で兄ちゃんたちと私だけ。早くしなきゃ、この場を去らねばと焦る気持ちと、でも精算しないと出られないし…と困惑していると、「俺に試させて」と後ろの兄ちゃんが声を掛けてきた。彼らの駐車券を入れ、兄ちゃんが慣れた手つきで、綺麗にお札を伸ばして入れてみるもダメ、でもコインなら精算することが出来た。私は持ち合せのコインがないことを説明すると、兄ちゃんたちも持ち合せはなく、遠くで待っていた仲間の所に私のお札を持って行ってしまった。まさか、そのまま持っていかれるのでは…と疑ってしまったが、仲間同士でコインに両替して戻ってきたのだ。私も無事に精算出来て「ありがとう」と笑顔で言うと、チンピラ兄ちゃんは「良かったね」と、とびっきりの笑顔を見せてくれた。ほっとしたのと同時に、心がほんわか温かくなったのを今でも覚えている。それからの私は変わった。

 

現地の人に、こちらからニコっと笑ってみることにした。お店の人、警備員の人、清掃の人、とにかく笑顔を見せてみる。そうすると相手もニコっと笑ってくれるのだ。怖いかも、危ないかもという考えに捕らわれると、張り詰めた雰囲気が生まれるが、笑顔を見せることで、そこにあった緊張感がほぐれるのである。車のパーキングが下手な私は、何度現地の道行く人に助けてもらったことか。こちらがニコっとすると、何度も切り返しをする私に呆れた様子で、駐車の誘導をしてくれるのだ。だからといって、危険なエリアで道行く人に笑顔を振りまくことはしないし、場所や人は選ぶけれど、ヨハネスブルグにいる人がみんな怖い訳ではない。そんな経験を重ねる内に、この街の印象はどんどん和らいでいった。人によっては、現地の人と関わりを持たず高い警戒レベルのまま生活している人もいたし、確かに怖い事件が起きていることも事実だが、私は笑顔のおかげで、ヨハネスブルグの良さも沢山発見した。現地の人や街にこちらから心を開いていくことの大切さを実感し、そのツールが笑顔なのだと学んだ。笑う門には福来ると言うけれど、笑顔には犯罪をも抑止する力があるのかもしれない。

笑顔の力って想像以上にすごい。

 

では、今回はこのへんで。

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やりきってみる ~チンパンジーを探して~

どうも、うりです。

私は仕事で一年間南アフリカに駐在していたことがあり、その時のエピソードも今後少しずつ書いていきたいと思う。アフリカと言えば、まず思い描くのが、ライオンやゾウといった動物や大自然のイメージだろうか。南アフリカはアフリカ大陸の中で最も発展しており、英国の植民地であったことも影響し、都市の中心はヨーロッパのような街並みをしている。都会から車を30分も走らせれば、緑豊かな景色も広がり、温暖な気候で本当に自然豊かで素晴らしい国である。一方で、アパルトヘイト政策の歴史や治安の悪さ等、マイナスイメージもあり、課題があるのも事実である。その辺はまた今度として、今回はやりきってみることの話。

 

南アの首都プレトリアヨハネスブルグは首都ではなく最大の経済都市、首都はプレトリア(行政府)、ケープタウン立法府)、ブルームフォンテン(司法府)の3都市)には、南ア最大規模の国立動物園がある。大きさは約60㎡と広大で(約51㎡の東京ディズニーランドより広い)、動物がのびのび過ごせる空間があり、日本の動物園の動物たちが可哀そうに思えてくるほど。現地の人たちから勧められ、ぜひ行ってみたい場所であった。私のお目当ては“ハイエナ”。動物園でハイエナが見られるなんて貴重というのが理由。

 

南ア在住歴の長いセルビア人の友人Jくんと、いざプレトリア動物園へ。ハイエナを目指し、フラミンゴ、ライオン、サイ…と色々な動物を見ながらとうとうハイエナを発見。動物の骨をバキバキと食べ、ディズニー映画で悪役として出てくるのも納得の異様な雰囲気をまとっていた。園内はとにかく広いので、ハイエナを見つけて大満足。アイスでも食べて帰ろうと考えていたところ、「他に見たいものは?」とJくんに聞かれ、アフリカのサファリではなかなか見られない動物ということで「強いて言うならチンパンジー…」と答えた。「じゃあ、探そう!」と。そこからが長い旅の始まり。

 

園内マップはざっくりで、全部の道が書いてある訳ではなく、表示もおおざっぱ。何となくこっちの方向ということで探してみたが、チンパンジーは見つからない。チンパンジーを探して行ったり来たり、動物園2周分は歩いた(従業員も少なく係員さえ見つけられない)。どうしても見たい訳ではなかったし、何度かもう帰ろうと言ったが、絶対見つかるからと諦めない。最終的には、なぜかJくんの昔からの夢を応援しているかの如く、「頑張って、きっと見つけられるよ!」と励ましていた。そして、漸くチンパンジーの檻を発見。実は公開しておらず立入禁止になっていたのだ。立入禁止ロープがあり、人気のない場所だったので何度か通り過ぎていた。Never give upスイッチの入ったJくんはそのロープを超えて中を確認、チンパンジーのいない檻だけ発見したというのが結末。それでも二人とも何とも言えぬ達成感を感じ、動物園を後にした。

 

Jくんはアラサーの同世代だが、生きることへの必死さ、諦めない気持ちが人一倍ある。今回のチンパンジー探しは一例に過ぎず、仕事でも些細なことでも、やると決めたらやる、諦めないのが彼のスタイル。今回のような小さな達成感も含め、諦めないことで成し得た経験を積み重ねているせいか、自分に自信を持って生きている。だからこそ、友人グループの中でも頼りにされる存在で、仕事でもキャリアアップを実現していた。ある時「そのNever give up精神はどこから来るの?」と聞いたところ「生活の自立も早かったし…あとは戦争を経験しているからかな」と答えた。Jくんの故郷セルビアユーゴスラビア連邦解体の過程で1990年代に紛争が起きていた。あまり多くは語らなかったが、小さい頃木登りをしていたら、空爆のサイレンが鳴り、遠くで母親が早く木から下りて!と叫んでおり、「うわ、ヤバい」と思ったのを覚えていると話していた。そのような戦争体験をしているからか、今出来ることは全てやるといった気持ちで、色んな壁にぶつかりながらも一生懸命に毎日を過ごしていた。

 

ここまで人生を大切に生きている人にはなかなか出会ったことがなく、非常に良い刺激をもらった。色々と言い訳を並べてやらない自分、周りに流されて何となく過ごしている自分。そんな自分をすぐに変えることは難しいけれど、私も小さなことからやりきってみようと思った。当時の私は、いつかは挑戦したいと思っていた語学の試験を受けることに決めた。Jくんの生き様に力をもらったおかげか、無事に合格。合格も嬉しかったが、今持っている力を出しきれた自分に喜びを感じていた。

 

同じ時代に生まれても、生まれた環境が違うことで、生きることに必死な人もいる。何かをやりたいと思える環境・チャンスがあることだけでも本当に有難いと改めて感じた。そんな環境に感謝し、動物園でチンパンジーを探す…でも良い、どんな些細なことでも良いから、自分がやると決めたことをやってみる、結果が想像と違ったとしてもやりきってみる。そうした小さな達成感を味わっていくことで、少しずつ自分に自信を持てるようになるのかなと思う。毎日毎日そんな風に生きるのは少し疲れてしまうけれど(これまた言い訳…)、動物を見る時、南アに思いをはせる時、こんなメッセージを思い出せる自分でありたいなと思う。

では、今回はこのへんで。

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芸術的な友人に学ぶ、覚悟の決め方

アイコン変えました、うりです。

友人Yちゃんに描いてもらった似顔絵。

 

最近よく考えるのが覚悟を決めるということ。幸せなことに、社会が豊かになり、価値観の多様性が認められ、女性の社会進出も増え、私たちの人生の選択肢はどんどん増えてきている。その分、自分で決めることも増え、進学、就職、結婚等、悩みはつきない。決断する、覚悟を決めるってどういうことなんだろう。

 

そんなことを考えている時、友人Yちゃんに会い、ヒントをもらった気がした。Yちゃんはとってもユニークな存在。知り合ったのは10年前、お互い大学生で、彼女は上半分黒髪、下半分茶髪のぱっつんボブヘアーという独特な髪型で登場。パンばかり食べていた記憶がある。

先日再会した時も猛暑の中、新宿まで1時間歩いてやって来て「時間があったから」と涼しい顔。彼女を一言で言うなれば、"芸術家"。絵画や音楽の才能があるだけではなく、彼女の生き方そのものが芸術的なのだ。ケーキを選ぶ時は王道のチョコやチーズではなくキャロットケーキ。靴はビビッドな蛍光ミドリ。大都会ニューヨークでは地下鉄に乗らずひたすら歩く。

 

彼女が普段から芸術的に見えるのは、外見が理由ではなく、彼女が彼女らしく生きているからだと思う。「自分らしく生きる」を体現している彼女を見て、自分らしさとは無意識の選択の集合なのかなと感じた。自分が気付かない内に、その人の自分らしさは滲み出ている。朝起きて、着る洋服を選び、電車のどの車両に乗るか選び、ランチは何を食べるか選び…こういった日常の小さな選択に、自分らしさが散りばめられている。Yちゃんの場合も、日常の小さな選択の積み重ねが、彼女を彼女らしくさせ、芸術家らしさが増しているのである。彼女の選択はとてもユニークに見えるので、改めて気付かされたのだと思う。

 

さて覚悟を決めるとは、に戻ると、それは自分らしい選択の延長にあるように感じる。覚悟を決めるには、ほんのちょっとの勇気が必要だと思う。その勇気を生み出すための判断材料が自分らしさではないだろうか。例えば新しいことへの挑戦に迷った時、自分が何に関心を持ち、どんな行動に時間を費やし、何を優先して生きているのか(家族、お金、趣味等)、無意識の選択も含め自分を見つめ直すと、その挑戦の必要性が見えてくる気がする。うまくいくかは分からないが、自分らしい選択だと思える確信を持つこと。そこから覚悟への勇気が湧いてくると思う。覚悟が決まらない時は、自分研究をやり切れていないのかもしれない。

 

Yちゃんが覚悟を持って生きているかは分からないけど、彼女は何事も決断が早いなと感じる。それはきっと自分のことをよく分かっていて、普段から自分らしさ全開で生きているからだと想像する。

今日という一日はどんな自分らしさが散りばめられているかな。

 

では今回はこのへんで。(Yちゃん、似顔絵ありがとう)

はじめまして

はじめまして、うりです。

このご時世、ブログは既に古いような気もするけれど、前からブログをやってみたいと思っていたので、ついに始めてみることに。

 

私は中学1年から日記を書き始め、日記を書くことは生活の一部。全くルールはなく、毎日書く時もあれば1ヶ月に1回の時もあり、出来事やら自分の感情やら、書きたい衝動に駆られて、ただありのままに書き留める。

なので内容はあまりに赤裸々で、公開日記なるブログを書くなんて、と抵抗があったけれど、私の考えや言葉に救われたとか、元気をもらったとか、、嬉しい言葉をもらうことも多く、一日の終わりにこのブログを読んで、心が少しほっこりするような、そんな言葉をここに集められたらいいなと思い、始めてみます。

 

そもそも何で日記を書こうと思ったかと言うと、きっかけは二つ。まずは『アンネの日記』を読んで、日記を書くって面白そう!って思ったこと。心の声まで共有出来る友がいるなんて素敵と思い、自分の心の友を求めて真似してみた(『アンネの日記』はDear. Kittyという一文から始まり、Kittyという心の友に向けた手紙形式で書かれている)。もう一つは、自分の負の感情を友達に話すことが好きではなく、悩みや嫌だなと思うことは日記に書いて消化することにしたこと。書き始めた時は三日坊主にはならないぞと思った程度で、まさか20年も続くなんて想像もしていなかった。最近では、科学的にも日記をつけることのメリットが認められていて、確かに私の心が平穏で、人に元気を与えることが出来るのは、日記に救われているおかげなのかもと思う。

 

このブログを始めるにあたり、私がどんな考えの持ち主か知ってもらうために、今までの日記を集計してみようと思い全部読み返してみた。想像以上に時間がかかってしまった。と言うのも、恥ずかしいことや自己嫌悪になりそうなことも色々書いてあって、自分の過去を見つめ直すってなかなか労力の要ることだったから。色んな言葉に溢れていたので、それはまた追々。

ちなみに中1の時は、「明日の体育の授業、誰と体育館に行こうかなー」とか書いていて、悩みの可愛さに自分でも笑ってしまった(大抵仲良しグループで教室から体育館に移動するので、どこのグループに入りたいかという悩みがあったらしい)。

 

さて、集計して知りたかったのは、日記の内容。やっぱり一番多かったのが、今日こんなことがあったとツラツラ書いている“最近の出来事”。その次に友達の近況や言葉。意外にも多かったのが哲学的な言葉。日常の出来事から感じる人間の本質や生き方のヒント等を無意識に書き留めていた。私は人と話すことが好きで、その人をその人たらしめるものを見つけることが好きで、そんな人との出会いから沢山の言葉が生まれるみたい。金子みすゞの詩に「みんなちがって、みんないい」という言葉があるけれど、個性の違いの面白さを平凡な日常の中で感じていたいのかな。

では、長くなってしまったので、今回はこのへんで。

 

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